昨日、京都を地味に巡ってみよう、という事で・・・
北野天満宮 → 醍醐寺 → 平等院鳳凰堂 → 石清水八幡宮、
というルートを走ったのですが。
最後の石清水八幡宮に辿り着くも、目的地閉場(閉山)。
一泊して翌日の再チャレンジを決定。
こうなったら、
ノープランのまま、
地味に、
奈良も巡ってしまう。
その後、京都・石清水八幡宮に立ち寄って帰宅、
目的達成とする。
・・・。
という大胆な企画変更。(^^;
目的地を検索しながらの旅、始まります。(T_T)
■計画立案
”三大”を巡る旅の途中であるので、
やはり、奈良にある”三大”を巡りたい。
「図解・日本の三大なんでも事典」(三笠書房)の本は常に持ち歩いています。
本を開いて調べると・・・
奈良のターゲットはこんな感じ。
・三大寺 : 元興寺(飛鳥寺)
・三大寺 : 弘福寺(川原寺)
・三大寺 : 大安寺(大官大寺)
・三大鳥居 : 大神神社大鳥居=32m(奈良県)
・新三大夜景 : 若草山から見る奈良県奈良市
三大寺!
集まってますね。
ならば、全部巡りましょう。
本の三大寺の表記にカッコ書きがあるのは・・・
”現在は○○寺(以前、飛鳥時代は△△寺)”
という意味の表記でしょうか。
うーん。
じゃあ・・・飛鳥時代の古いほうを回るべきか。
という方向で攻めます。
そして、
下調べをする時間もツールもなく、明日香村方面へ。
場所はこの辺りか、
とナビだけを頼りに行ってみます。
(A)川原寺→(B)橘寺→(C)石舞台古墳→(D)飛鳥寺→(E)大安寺。
(A)~(D)は明日香村にあり、拡大するとこんな感じ。
まずは、川原寺と飛鳥寺。
本当にこの場所でいいのか・・・
良くわからないが、行ってみる。(笑)
ついでに、橘寺と石舞台古墳くらいは立ち寄ってみる。(^^;
■三大寺 「弘福寺(川原寺)」
まずは、明日香村へ。

ナビの指し示す「川原寺」へ行ってみます。
これだ。

何もない。
史跡?
遠くにあるあの建物は?
ウィキペディアで調べてみます。
「
川原寺(かわらでら)は古代日本の政治文化の中心であった
飛鳥(奈良県高市郡明日香村)に所在した仏教寺院。
別名を弘福寺(ぐふくじ)。
川原寺跡は国の史跡に指定されており、現在はかつての中金堂跡に
川原寺の法灯を継ぐ真言宗豊山派の寺院・弘福寺が建つ。
川原寺は、飛鳥寺(法興寺)、薬師寺、大官大寺(大安寺)と並ぶ
飛鳥の四大寺に数えられ、7世紀半ばの天智天皇の時代に建立された
ものと思われるが、正史『日本書紀』にはこの寺の創建に関する記述がない。
そのため創建の時期や事情については長年議論され、さまざまな説があり、
「謎の大寺」とも言われている。
平城京遷都とともに四大寺の他の三寺(飛鳥寺、薬師寺、大官大寺)は
その本拠を平城京へ移したが、川原寺は移転せず、飛鳥の地にとどまった。
平安時代最末期の建久2年(1191年)の焼失後は歴史の表舞台から姿を消し、
発掘された瓦やせんぶつ(せん仏:土で作り焼成した仏像)、堂塔の礎石
以外には、往時をしのばせるものはない。
川原寺から出土する創建時の瓦は「複弁蓮花文瓦」と呼ばれる、
8枚の花びらのそれぞれを2つに分けた形式の複雑なデザインのもので、
これが以後の瓦文様の主流となった。
昭和49年(1974年)、川原寺の裏山の板蓋神社から、千数百点におよぶ
塑像の断片やせんぶつが発掘された。
せんぶつとは土製品を焼いたもので、材質的には煉瓦に近い。
川原寺裏山からは、縦横とも20cmほどの板状のせんぶつに三尊仏を
浮き彫りにした三尊せんぶつが大量に発掘されている。
せんぶつが1箇所から大量に発掘された事例は日本で他になく、その用途は
はっきり解明されていないが、仏堂の壁面をせんぶつで埋め尽して荘厳
していたという説が有力である。
現在、川原寺跡は南大門、中門、廻廊などの旧位置がわかるように整備
されている。
」
長くなってしまいましたが。
飛鳥の時代の川原寺は、発掘調査された遺跡だけが残っており、
それが、ここだと。
川原寺を受け継いだ弘福寺が、現在は奈良市内にあると。
(間違えていたらご指摘下さい)
これらが川原寺の建物の基礎、土台の部分、ですね。
こっちは・・・
ちょっと関係なさそうなお食事所でした。
名称は引福寺。字面が微妙に弘福寺と似てる?(^^;
さてさて・・・
ウィキペディアにある「せん仏(せんぶつ)」が大量に発見された、
川原寺の裏山にある、板蓋神社・・・
本当に川原寺ってこれなの?
と周辺をウロウロ歩いていて、
写真撮影してました。
こちらが入口です。
狭くて急な階段。お百度参り・・・とか書いてありました。(うろ覚え)
神社だよな。寺じゃないなー。と言いつつ。写真撮影。(^^;

ここが板蓋神社ですか。知りませんでした。
という事で。
何の予備知識もなく行ってみた・・・
川原寺、終了です。(^^;
しかし・・・
今現在は「弘福寺」として奈良市内にある、っていうんなら・・・
こっちは”遺跡”状態だし・・・
両方行ってみますか。
”弘福寺(川原寺)”は半分クリア、ですね。(^^;
■聖徳太子生誕の地 「橘寺」
いわゆる、観光です。(^^;
亀石とか、有名な壁画とか、○○天皇のお墓とか、
近くにあったのですが・・・。
目的地から遠回りになる。
という事で今回は回避。
恐るべし、深谷ネギ。
いざ、たまたま近くにあった、「橘寺」へ。
少々歩いて辿り着きました。
正門です。ここから入ります。
入場料を支払って中に入ります。
こちらが本堂です。
よく見ると、龍と・・・
象でしょうか。
本堂の横にある「二面石」です。
こちらは「黒駒」、太子の天を翔る愛馬だそうです。
他にもいろいろとありましたが・・・。
このあたりで。(^^;
■特別史跡 「石舞台古墳」
またまた。
いわゆる、観光です。(^^;
次の目的地、飛鳥寺に行く途中というか・・・
遠回りにはなるんだけど・・・
立ち寄ってみる?
みたいな感じで。
行ってみました。
こちらが入口です。
昔は無料だったそうですが、いまは入場料が必要です。
入口を入ると、すぐに見えてきます。近っ。(^^;
巨大な岩が露出している古墳、石舞台古墳です。
石舞台古墳は、横穴式石室を持つ方形墳。
築造は7世紀のはじめごろと推定。
古墳上部の封土は失われ、巨大な天井岩が露出した姿に。
被葬者は不明ですが、蘇我馬子ではないか、とされているそうで。
横穴式の石室、実際に入ることができます。
はい、修学旅行で行ったよーみたいな。
歳をとってからまた見に来るのも一興ではないか、そんな感じです。
石舞台古墳、以上で撤収です。(^^;
■三大寺 「元興寺(飛鳥寺)」
これまた何の下調べもなく・・・
ナビの指し示す「飛鳥寺」へ行ってみます。
本当にここでいいのか??
ウィキペディアを見てみました。
「
飛鳥寺(あすかでら)は奈良県高市郡明日香村にある寺院である。
蘇我氏の氏寺で、日本最古の本格的寺院でもある法興寺
(仏法が興った寺という意味)の後身である。
この寺にはいくつもの呼び名がある。
蘇我馬子が建立した寺院の法号は「法興寺」または「元興寺」(がんごうじ)であり、
法興寺中金堂跡に、現在建つ小寺院の公称は「安居院」(あんごいん)だが
「飛鳥寺」の呼称は江戸時代の紀行文などにも見え、「飛鳥寺式伽藍配置」
など学術用語にも使われている。
現在の飛鳥寺の前身である法興寺は、蘇我氏の氏寺として
6世紀末から7世紀初頭にかけて造営されたもので、
明日香村豊浦の豊浦寺(尼寺。現在の向原寺がその後身)と並び
日本最古の本格的仏教寺院である。
都が平城京へ移るとともに法興寺も現在の奈良市に移転し元興寺となったが、
飛鳥の法興寺も存続し本元興寺と称された。
現在、参道入口に立つ「飛鳥大仏」の石碑は寛政4年(1792年)のもので
当時すでに「飛鳥大仏」と呼ばれていたことがわかる。
現・本堂は江戸末期の文政8年(1825年)に大坂の篤志家の援助で再建
されたもので、創建当時の壮大な伽藍をしのぶべくもない。
しかし発掘調査の結果、現在の飛鳥寺本堂の建つ場所はまさしく馬子の
建てた法興寺中金堂の跡地であり、本尊の釈迦如来像(飛鳥大仏)は
補修が甚だしいとはいえ飛鳥時代と同じ場所に安置されていることがわかった。
日本最古の寺院・法興寺は衰退したとはいえ、21世紀の今日まで
その法灯を守り続けているわけである。
」
むむむっ。
法興寺または元興寺が明日香村に建立されたの最初の寺の名前。
遷都で平城京へ移転した方が、奈良市にある今の元興寺。
明日香村に残った方が、こちら飛鳥寺。
どちらが本物?(^^;
(どちらも本物か)
では、元興寺についてもウィキペディアを見てみる。
「
元興寺(がんごうじ)は、奈良市にある、南都七大寺の1つに数えられる寺院。
蘇我馬子が飛鳥に建立した、日本最古の本格的仏教寺院である法興寺が
その前身である。
法興寺は平城京遷都に伴って飛鳥から新都へ移転し、元興寺となった
(ただし、飛鳥の法興寺も元の場所に残り、今日の飛鳥寺となっている)。
現在、「史跡元興寺」として指定されている地域は
(1)奈良市中院町の「元興寺極楽坊」、
(2)同市芝新屋町の「元興寺(塔跡)」、
(3)同市西新屋町の「元興寺小塔院跡」の3か所である。
これらはいずれも、蘇我馬子が6世紀末、飛鳥に建立した日本最古の
本格的寺院、法興寺(現在の飛鳥寺)の後身である。
和銅3年(710年)の平城京遷都に伴って、飛鳥にあった薬師寺、
厩坂寺(のちの興福寺)、大官大寺(のちの大安寺)などは新都へ移転した。
法興寺は養老2年(718年)平城京へ移転したが、飛鳥の法興寺も
廃止はされずに元の場所に残った。
通常、飛鳥にある寺を「法興寺」、平城京の方の寺を「元興寺」と称している。
「法興」も「元興」も、日本で最初に仏法が興隆した寺院であるとの意である。
」
これも、現在の元興寺と両方行くべきでしょうか?(^^;
本日行った「飛鳥寺」はこちら。
仏教が日本に伝来した飛鳥時代、日本初の本格的な寺院は、
蘇我馬子が建てた元興寺(または法興寺)で、今の飛鳥寺
という事ですか。
日本最古の仏像、飛鳥大仏もあります。
が、写真は掲載なし、です。
寺の裏手(?)には、蘇我入鹿首塚があります。
という事で。
こちらも何の予備知識もなく行ってみた・・・
飛鳥寺、終了です。(^^;
奈良市内にある「元興寺」にも行かなくては、ですね。
”元興寺(飛鳥寺)”も半分クリア、という事で。
■三大寺 「大安寺(大官大寺)」
こちら、大官大寺の場所がナビに出てきません。
遺跡状態なので掲載されていないのか?
探し方が悪いのか?
各時代の地図がHDDナビに搭載されていればいいのですが。(無理)
書店やネットカフェに立ち寄って調べる・・・
そんな時間がなかったので。
仕方なく・・・
奈良市内にある「大安寺」の方へ行ってみる事に。(^^;
本堂はこちら。
大安寺をウィキペディアで調べてみます。
「
大安寺(だいあんじ)は、奈良県奈良市にある高野山真言宗の仏教寺院。
本尊は十一面観音。開基(創立者)は聖徳太子と伝える。
奈良時代の大安寺は東西2基の七重塔をはじめとする大伽藍を有し、
東大寺、興福寺と並ぶ大寺院で、「南大寺」の別称があった。
南都七大寺のなかでも、七重塔が建っていたのは東大寺と大安寺のみである。
大安寺の起源は聖徳太子が今の奈良県大和郡山市に建てた
熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)であり、これが移転して、
「百済大寺」(くだらのおおてら、くだらだいじ)、
「高市大寺」(たけちのおおてら、たけちだいじ)、
「大官大寺」(だいかんだいじ)と改称を繰り返し、
平城京遷都とともに寺も新都へ移転して「大安寺」となったという。
飛鳥地方にあった7世紀建立の寺院のうち、
法興寺(元興寺)、薬師寺、厩坂寺(うまやさかでら、後の興福寺)などは
平城京への遷都とともに新都へ移転している。
大官大寺も平城京左京六条四坊の地へ移転し、大安寺となった。
境内(国の史跡)には本堂、嘶堂(いななきどう)などが建つが
いずれも近代の建物である。
」
大官大寺が移転して、こちらの大安寺になった、という事ですね。
建物は近代的で。。。特に撮影していないので写真はこれまで。
ここだけは現在のお寺をクリアです。(^^;
大官大寺跡に行かなくてはいけませんね。
三大寺・・・
いずれも”半分クリア”の扱いにしておきましょう。
■三八幡 「石清水八幡宮」
奈良県の寄り道がようやく終わり・・・
やっと、本題の三八幡:石清水八幡宮へ向かいます。
さすがに2日連続で閉場(閉山)→ガックリ、となるわけにはいきません。
慌てて奈良市内から京都府八幡市へ向かいます。
日曜の午後、数箇所で渋滞するなか、
16:00前にようやく石清水八幡宮到着。
本殿は「男山」山頂にあるので、ここから一ノ鳥居~三ノ鳥居と
参道を歩いていくのですが・・・
相当な山道のようであり、時間もなく、相方は”サンダル”(笑)
という事で、男山ケーブルに乗って山頂へ向かう事に。
京阪本線・八幡市駅横の、男山ケーブル八幡市駅へ。
ケーブルカーが本殿のある山頂まで往復してくれます。
右にいる水色の象は、車内に冷風を送る冷風扇の冷えゾウ君です。(^^;
後ろ向きに座ったまま上っていきます。
そして山頂の男山山頂駅へ到着。
しばらく山道を歩くと到着です。
石清水八幡宮について、ウィキペディアから引用します。
「
石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は京都府八幡市の
男山山上にある神社である。
宇佐神宮などとともに日本三大八幡宮のひとつに数えられる。
二十二社の上七社の一つであり、旧社格は官幣大社。
本殿などの建造物16棟等が国の重要文化財に指定されている。
また、本社は伊勢神宮に次ぐ国家第二の宗廟とされている。
京都の北東にある比叡山延暦寺と対峙して京都の南西の裏鬼門を
守護する王城守護の神、王権・水運の神として皇室・朝廷より篤い信仰を受け、
天皇・上皇・法皇などの行幸啓は250余を数える。
また、源氏をはじめ、足利氏・徳川氏・今川氏・武田氏など、多くの清和源氏が
氏神として信仰したことから武神・弓矢の神・必勝の神として崇敬された。
現代では、パナソニックの創業者でもあり「経営の神様」とも称された松下幸之助
が深く信仰したほか、厄除開運、必勝、商売繁盛、家内安全などの御利益を
願って全国から参拝者が足を運ぶ。
」
伊勢神宮に次ぐ第二の・・・は宇佐神宮だったのでは?
どちらでも良いのですけど。(^^;
本殿、その他の写真はこちら。
石清水八幡宮、2日がかりでようやく終了です。(^^;
参拝が終わった頃はだいぶ暗くなってきていました。
これにて京都と奈良を地味に巡る旅、終了です。
奈良は”やり残し”が出来たので・・・
また行きましょう。(^^;
ではではー。
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